
2025 年度スターティングメンバーを務めさせていただきました 4 回生の SSDM 小幡颯太郎と申します。
まず初めに、日頃より京都産業大学男子ラクロス部を支えてくださっている OBOG、保護者、ラクロス関係者の皆様、ご支援、ご声援を賜りまして誠にありがとうございます。
今後ともご声援のほどよろしくお願いします。
僕は非常に文章を書くことが苦手です。非常に殴り書きです。多分誤字ります。そんなところもお茶目で可愛いと思っていただければ幸いです。
軽く自己紹介をします。滋賀県大津市で生まれました。
自分に責任感のない人間で何も考えずに思うがまま生きてきました。高校に入り、野球部ではずっとふざけており、爆速帰宅仲間の香西優作と練習中にスマホを触って監督に帰らされ、その帰り道にスマホゲームをしながら『いつか笑い話になるか』とその日に話していたことが 1 番の思い出です。
ここからはラクロスの話をしたいと思います。
関大戦が終わった日に、ラクロスを引退しました。
僕はペナルティーボックスで座って最後の試合を終えました。
正直に引退してまず思ったことは入替戦をしたかったということです。去年から僕は試合に出させていただいており、大阪経済大学との入替戦を経験しています。あの観客の量と声量はこれからも忘れることは無いと思います。もう一度あの試合をしたいと思い臨んだリーグ戦、最終戦に勝つことが出来てなんとか4位だったので、確かに終わり方は綺麗でしたが、気分的には目にゴミが入ったような感じでした。
次に 4 年間の振り返りをしていきたいと思います。
まず入部のきっかけは香西優作からのマネージャーが可愛いという噂を聞いて入部するという不純な理由でした。
そんな理由で入った奴がうまくなるわけもなく、1 回生の時はオフェンスをやっていましたが、 1 点も取ることができませんでした。 同期の小寺には泣かされてりおに助けを求め、羽尻さんにはパスミスをした際に「それじゃー練習にならない」と言われ、後から入部した翼に先にすんなり点を決められ、つま恋でけつさんに泣かされ、自分の下手くそさを毎日毎日痛感させられました。
そんな 1 回生を歩んできましたが、辞めずに続けられたのは同期の仲がとても良かったからだと思います。
そして 2 回生になり、オフェンスでは正直試合に出られないと感じていた矢先に、オフェンスリーダーだった川西さんに SSDM で一度試合に出すと言われました。誰が決めたのかは分かりませんが、これが僕のラクロス人生を変えました。初めての試合で上手いと言われ、そこから SSDM になり僕自身ラクロスで初めてレベルで上手いと言われたので嬉しかったです。
その時はまだウィングのセンスは全くありませんでしたが、ある試合でウィングでほんまにたまたま走ったとこにボールが来て、たまたまクロスに入るということがたくさん起こりました。めっちゃ運です。運も味方につけてラクロス下手くそがチームのスターティングメンバーにまで成り上がりました。1 年前の自分では考えられませんでした。
そして 3 回生になり、2 部に自動昇格していました。入替戦がなかったので曖昧な感じになり、実感が湧きませんでした。2 部のレベルがあまり分からず自分が通用するかわからなかったので、正直不安でした。頑張って先輩と一緒に勝ちたいと思っていました。みんなの目には、アフターもしない香西と爆速帰宅するだけの人間に見えたと思います。しかし、自分なりに家で動画を見返したり、足の運び方などの練習をしてオフェンスが嫌がることを考えたりしていました。
周りからは「運動神経でなんとかやっている」と言われがちでした。確かにそうだったのかもしれませんが、正直に言うと僕は不器用なので練習して考えないと細かい動きはできません。そのために、練習の中で細かい動作の確認をするなどの工夫をしていたことが、上手くなった要因の1つだと考えています。
もう1つ上手くなった要因はけつさんです。
正直、試合中 1 ミスでもしたら死ぬ覚悟で試合をしていました。そしてミスっては詰められるの繰り返しでした。しかし試合で 1 つ上手くいくと右手をグッジョブの形にして褒めてくれました。なんかめっちゃ嬉しかったのを覚えています。そんなこともあり、3 回生の終わりがけには他大学から上手いと言われることも多くなりました。
そして 4 回生の初めは就活もあり、どこか中だるみをしていました。実力は絶対に上手くなっているはずなのに試合では空回りをして失敗することが増えました。リンダとえいたが想像以上に上手くなり信頼して任せられるようになり、そのおかげもあって自分のことに集中することができて助けられました。ありがとうございます。そしてリーグ戦を終えて結果は4位、2部残留という結果でした。
たくさんの後悔が残りました。
あれいけたなーとかあれが無かったらなーとか言ったところでダサいし結果は変わらないですが、今でも「あの時‥ああしていれば」と考えてしまいます。
そんなこんなでラクロスを引退しました。
ここまで読んで下さっている方ありがとうございます。
これが私の 4 年間です。次に感謝を述べたいと思います。
後輩へ
後輩とあまり絡みがあった方ではなかったです。けど、ピンガが構ってくれてチルトがおばっさんとか言ってきてインキャの僕にはだいぶ嬉しかったです。来年僕は1位で通過して入替戦に行ける力があると思います。来年こそ 1 部に行ってください。観にいきます。
同期へ
まずは可愛い子ぶったりアホなキャラを演じてすみませんでした笑けどアホなのはほんまです。たくさんの個性が集まってみんないいやつで誰か 1 人欠けても寂しい感じがしてほんまに好きです。また飲みにいきましょう。
両親へ
小学校から高校までの野球、大学ではラクロスをさせてくれて、たくさんのわがままを許してくれてありがとうございます。大きな怪我がなくスポーツをできたことは両親への感謝しかありません。社会人では自分なりに恩を返せるように頑張ろうと思います。
最後に、この 4 年間でラクロスはもちろん人間性も成長しました。本当にコーチ、同期、後輩、両親、ラクロスで関わった全ての人たちに感謝です。
僕にラクロスを教えてくれてありがとうございました。
次は僕と一緒に SSDM をしていましたがロングになった佐敷翼くんです。
急にどっかに走り出すかもしれないので頑張って探してください。

