
平素より京都産業大学男子ラクロス部に多大なるご支援・ご声援誠にありがとうございます。今年度副主将を務めて参りました山本聖也と申します。
この引退ブログは一部に昇格して気持ちよく偉そうなことを書こうと思っていましたが、4位でリーグ戦を終え半月ほど早めの執筆となりました。
今までこの4年間であったことや感じたこと、後輩たちへ伝えたいことを言葉にしようと思います。拙い文章なので無理して読まなくてもいいです。
10/19
関大に勝って引退が決まった日
りお以外の 4 回生のラクロス人生が幕を下ろしました。
試合終了の瞬間、陸人と小幡はなぜかペナルティボックスで座っていましたが勝った嬉しさで観客挨拶までの記憶がありません。
今年のリーグ戦は去年よりも厳しいものでした。チーム全体で薄っすらなめてかかった工繊戦の敗北から始まり第 4 戦まで一度も勝てずに 2 敗 2 分け、チーム全体の雰囲気は良くなく、普段の練習からどこか落ち込んでいるような状況となっていました。
第4戦の追手門戦が敗北に終わり他会場の兼ね合いで上入れ替えの可能性がなくなり、下入れ替えが濃厚になっていた現実に直面していた頃、誰かは忘れましたが「今から 2 連勝したら 4 位で爆速引退できる」と言いました。
ほとんど死んでいた 4 回生に元気を与える魔法の言葉でした。 この事実により、 4 回生の休みに懸ける思いと下入れ替えには何としてでもいかないというプライドを持って第5戦の甲南大学にて初勝利をおさめ、最終戦でも勝利を手にして 4 回生は引退しました。
関大戦の試合後、ミーティングや写真撮影、来てくださった OBOG、保護者、友達と談笑している際に「これで引退か」と感じていました。しかし本当の意味で引退を実感したのはもう少し後でした。試合後のいつものラーメン(来来亭新堀川店)を食べてから家に帰りました。この 4 年間飲みに行った帰りでもできる限り毎日行っていたことがあります。それは壁打ちです。 うちの近くの球場は前には壁、後ろにはネットという素晴らしい環境があります。この環境がセンスのない僕を成長させてくれました。そしてここの壁は 21 時までは球場職員がいて 21 時より前に壁打ちをすると怒られて学校名を聞かれます。なので毎日 21時以降に球場に行って壁打ちをしにいくという毎日のルーティンがなくなった違和感と寂しさが引退したんだと身に染みて感じさせました。
この 4 年間を振り返ってみましょう。
入部のきっかけは尊敬していた高校の先輩がやっていたからでした。その先輩は僕が入ってすぐ姿を消しました。今でも憧れる先輩です!
1 回生の頃は浮き沈みを何度も繰り返していました。 フレキャンでオールフレッシュマンを取って浮いて、 サマー前日に怪我をして沈んで、 それから試合では点が取れない日々が続き沈み、 つま恋でも思ったようなプレーが出来ないといった一年でした。思い返すとはじめ浮いてから沈み続けてますね。
2 回生ではいろいろな経験をさせてもらいました。 初めてのリーグ戦や遠征、ジャン負けでやらされた大会委員会。今思えば全て自分の糧になったと感じています。
3 回生では学ばせてもらいました。 川西さんのリーダーとしてチームのために自分がするべきことを全うしようとする姿勢やコールさんの自分の損得勘定を度外視してチーム全体のために動く人間力。 ほかにもたくさんの先輩からいろいろなことを学び、成長させてもらいました。
4 回生ではこれまでの 3 年間よりも濃密な 1 年を過ごしました。 新チームがスタートする前に僕は中古さんやまめさんが前チームでやっていた盛り上げる役割を勝手に受け継ごうと心に決めました。 1 年を通して去年みたいに盛り上げれたかはわかりませんが自分の中ではやり切れたと感じています。
チームの運営は本当に難しかったです。今年のチームビルディングが成功したとは実際思ってないし、副主将としてもっといいやり方があったんじゃないと思うところはたくさんあります。でもこの経験がこれから社会人になっていく上で繋がってくると願っていますし、組織のことで悩むといった経験が僕を成長させてくれました。
6 月には前十字靭帯損傷。 怪我した直後の応急処置中のジョーさんが深刻そうな顔をしてた時は本当に終わったと思いました。 実際全治 2 か月半の大けがだったけど、 トレーナー、病院の先生、親のサポートのおかげでリーグ戦に出れることができて本当にうれしかったです。
後輩へ
一つ僕から受け継いでほしいものがあります。 それはスタッフへの思いやりと感謝です。 このチームは伝統の男尊女卑で今までやってきましたが、 そろそろ変わるべきです。今年は人数が少なったため例年に比べてスタッフの一人にかかる仕事の負担がすごかったです。これからはえざが抜ける分これまで以上に仕事量が増えます。なので意識して何かできないか探してみてください。そしてやってもらったことに対してありがとうとプレーでレスポンスしてください。
同期へ
みんながいたからここまでやってこれました。このメンバーじゃなかったら 1 回生の冬でほんまにやめてたと思います。この 4 年間最後までやり切った 12 人を誇りに思います。社会人になってもまた会いましょう、営業かけにいきます。
両親へ
小学校から高校まで野球を何不自由なくやらせてもらって、大学でもいろいろ援助してもらって本当に感謝しかありません。 まだまだ迷惑をかけると思いますが、少しずつ恩返ししていきたいと思っています。これからもよろしくお願いします。
最後に京都産業大学の男子ラクロス部での 4 年間真剣にラクロス、チーム、人間関係に向き合ってきたことは山本聖也の成長させてくれたし自信を持たせてくれました。これまで関わって下さったすべての人に感謝とスーを差し上げます。
拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
次は引退ブログは小幡と共に爆速帰宅を極めたボクっ子「香西優作」です。
京都府警試験のトップランカー(本当)である彼の引退ブログにご期待ください

